「わたしがこうなんだから、しかたがないわよ」そんな言い方をする娘が多い。まちがっているのである。それでは相手も、「じゃ、おれはこうだから、おれだってしかたがないさ」ということになる。一致点は見出せない。人が自分に歩み寄ることばかりを期待していては、やがて人から疎外されてしまうにちがいない。恋愛の破綻の多くは、謙虚さの不足に起因している。恋の毘は出会い アプリ から始まる情事と恋愛関係の遣いぼくは現在、ある週刊誌に男子高校生と女教師との情事を書いている。これは情事であっても、恋愛ではない。けれどもやはり、恋愛的な要素がある。年下のその高校生を可愛いと思えばこそ、女教師はっきあうのである。年上のその女教師に魅力を感じているから、少年は彼女に会うのである。情事にも種類があって、心情的な要素がまったくなくただ性の欲望だけで交渉を持つ場合と、心情的なつながりと性の欲望とが複合している場合とがある。前者の場合は、はっきりしている。男が金で娼婦を抱く場合。逆に女が金と交換に男に抱かれる場合。多くの好色な男たちは、ただの遊びで酒場の女やや女子学生を誘う。たいていの場合、そこに愛はない。プレイガlルたちの男との交渉も、その多くはそうである。遊びである。遊びだから、それにのめり込んで大ケガをするということはない。道徳的にどうのこうのはともかくとして、、一応健全だということができる。よく人は、「あいつは遊び人だから、ちゃんと限度を心得ている。心配することはない」と言う。また、「あのこはチャッカりしているから、適当に遊んでいるだけであの男に溺れはしないだろと言う。つまり、情事慣れしている男女は、遊びの限界を知っているので無事だというわけであうる。問題は、場合である。心情的な要素をともなった情事のチャーミングであった。男の好みにぴったりである。た。魅力をおぼえた。り、新入社員の女の子もまた、男に好意を抱いふたりは個人的に親しくつきあうようになやがて彼女は、「この人には奥さんもこどももいるんだか入春つ、あて勤るきめ男たて。い妥る子職が場いtこる短華大子新を卒愛のし女てのい子たが。男lま情事を楽しみ、女l主人生をE書ける。そこに悲劇があるら、結婚はできないわ。でも、ちょっとだけなら」という気持になり、男も、「家庭を破壊するようなことにならなければ、こんな可愛い子をほっとく手はない」自分にそう言い聞かせ、合意の上でホテルに行った。

男は、女遊びに慣れていなかった。女も、初体験ではなかったものの、プレイガ!ルではなかった。しかも、たがいに心情的にも好意以上のものを抱き合っていた。男に妻子がなければ、正常な恋愛に発展するところである。それができないとわかっているので、単なる情事のつもりであった。男と女の仲というものは、肉体関係が生じる前とそのあととでは、様相が一変するものである。関係以前には想像もできなかったほどの密着感と執着が生じるものだ。最初の自戒を忘れて、彼女は男に夢中になった。男もまた、彼女に情を移してしまった。たがいに嫉妬するようになり、彼女の嫉妬は男の妻にまで向けられるようになった。男も、彼女が高校時代の同窓会に出席することにまで目を光らせるようになった。悲劇は一年後に訪れた。今夜男を自分のアパートの一室に連れて帰るという予定の目、彼女は男の妻に電話したのである。作り声で、「今夜、あなたのご主人は、ある女の部屋へ行くわ、場所は・」・男の妻が教えられた部屋を訪れたとき、男女は全裸でふとんのなかにいた。しかも、彼女は部屋のドアのカギをはずしていた。短大卒の彼女は、男と自分が愛し合っている現場をその棄に見せ、妻に離婚を決意させたかったのだ。(あの人は、あたしを選ぶにちがいない〉という自信があった。また、(奥さんが去って行くんだから、あたしを取らざるを得ないだろう〉という打算があった。現場を見て、妻は半狂乱になるだろう。襲いかかって来るかもしれない。相当の修羅場は覚悟していた。彼女の予想ははずれた。男の棄は、わずかに顔をこわばらせながら、「あなた、帰りましょう」自分を抑えた声でそう言い、「外で待っているわ」とつけ加えてそのまま部屋を出て行ったのである。男は彼女を抱いたまま、「たいへんなことになった」「いったい、どうしてわかったのか?」しきりにぼやいていたが、「とにかく、帰らなきゃ」起きようとした。彼女は男にしがみついた。「いや、帰らないで」「話はあしたにしよう」「いやよ、いや」しかし、男は急いでいた。もう気もそぞろというありさまで、彼女がとりすがるのをふり切って服を着た。「帰つもやったら、あなたとはもうおしまいだわ」「その話もあしたにしよう」男はそそくさと出て行き、彼女ははだかのまま部屋をのた打ちまわってくやしがった。外で待っていた妻は、男が近づくとふり返りざま、無言で手をひるがえした。男の頬に派手な音が生じた。

理性では抗しきれない力男が妻から受けた罰はただそれだけである。妻は男と離婚せず、男は「もう二度とあの女とは遊ばない」ことを替わせられて、それで許された。そしてあくる日、じっさいに彼は彼女に、「女房に知られた以上、もうぼくたちの仲はこれまでにしよう」と申し出た。「いやよ、あたしは。奥さんと別れてちょうだい」「そんな無茶な」「だって、あたしはもうあなたと別れられないわ」「いや、別れたほうがおたがいのためなんだ」彼女の計算は裏目に出た。男にその気がないのだから、どうしょうもない。一巻の終わりである。彼女は男と別れ、会社も辞めて行った。これなど、情事が情事でないほどにエスカレートしたために生じた悲劇である。彼女が純情なためにそうなった。どたん場になると男はやはり妻子のほうを選ぶものだ。戯れに恋はすまじ、ということばがある。はじめに彼女は、「つきあうだけでいい、奥さんにとって替わろうなどとは思わない」自分にそう言い聞かせていた。肉体交渉が深まるにつれ、それがそうでなくなった。彼女は女の生理を甘く考え過ぎていたのだ。理性では抗しきれない力がそこにはある。ぼくの学生時代、同じ屋根の下の隣の部屋を借りていた学生が、ある人妻と親密になった。はじめは彼は、自分のプレイポイぶりを得意になって語っていた。ところが、彼は自分がそう思っているほどプレイポイではなかった。ただの火遊びだと決めていたのに、彼はその人妻に夢中になり、女の夫にまで嫉妬するようになった。一方の人妻は、これはもうたいへんな浮気女で、学生を「つまみ食い」した程度に過ぎない。学生の情熱がすぐにわずらわしくなった。ある日、「もうこれまでにしましょう」学生にそう言い渡し、以後見向きもしなくなった。それでも学生はしばらくその女につきまとっていたが、ことを荒立てるだけの度胸もな〈(あるいはそこまでおろかにならず〉傷心の胸を抱いて去って行った。遊びとして最後まで割切ることができれば実りなき情事を楽しんでもよい、とぼくは言っているのではない。昨今そのような男女関係は多いが、けっして褒められたものではない。結局は虚しいはずである。それでも、そのような関係は、それなりに無事である。経験の浅い男女の場合、それですまなくなる。その結果、傷つくのは自分である。そこがむつかしい。人は、心ゃからだのなかに、みずからコントロールできない部分を持っている。それをよくわきまえて、危険な一歩を踏み出さないようにするのが予防策である。

自分の友だちが平気でそうしているからといっても、それが自分にあてはまるものでは、。品向人生、ころばぬ先の杖こそたいせつである。ほんのちょっとしたよろめきが大事に至ってしまう。それがこわい。浮気を本気に見せる男の方法「どうしょうもない」という心理奏ある男と恋愛関係に入る娘がいる。いろんなケ1スがある。相手が会社の上司であったり、学校の教師や先輩であったりする。未婚の男との恋愛とちがっている点が、いくつもある。そのひとつ、この恋愛はほとんどの場合、最後の一線を越えることである。つまりこの恋愛は、最後の一線を越えるまでは恋愛ではないのだ。越してはじめて、当人にとって恋愛になる。問題が生じる。ここに、この種の恋愛を解くカギがひそんでいる。ある娘は、「理性ではいけないと思っています。早く別れたほうがいい。わかっているんです。でも、どうしょうもないんです」この「どうしょうもない」心理は、肉体関係が生じるまでは、たとえいささかあったにしても、それこそ「どうしょうもない」ほどではなかったはずである。つまりこの種の恋愛の基礎になっているのは、肉体的なつながりなのだ。あるいは彼女自身は、それを意識していないかも知れない。言わせれば、もっともらしい理屈をこねるかも知れない。しかしそれは、本人が自分を客観視することが出来ないためであって、意識出来ていることは、彼女自身の幾層もの心理の表面にあるものに渇きない。したがって、この種の恋愛は、いわゆる恋愛ではなく、本質的に情事なのだ。当人が、自分を美化してそれを恋愛と錯覚し、錯覚することによって自己弁護しているだけだ。観点を変えて、妻ある男の側から考えてみたら.とうなるか。彼にとって、彼女はたしかに「可愛い存在」ではある。だからつきあった。可愛がった。肉体関係が生じたあとではさらに可愛い存在になり、執着が生じた。他の男に渡したくなくなった。できるだけ数多くデートしたくなった。そして、その子といっしょにいるときは楽しい。男の危ない空手形けれども、一方に妻がいる。多くの場合、男は妻に重点を置いている。口ではいろんなことを言っても、これはたしかだ。女を、第二の女体と考えている。女にとって男が唯一無ニの男であり、男にとってはそうではない。このことが悲劇を生む。いざとなったら、男は妻を選ぶ。その悲劇を顕在化させないために、男は巧言を使う。無責任なことばを吐く。

無責任なことばの最たるものが、「いずれそのうち、妻と離別してきみと再婚する」である。空手形だ。口約束である。たとえ本心からそう言っていたとしても、それを実行する男はきわめて少ない。多くの娘は、自分がそんな数少ない男の「恋人」になったと思っている。これは思い上がりである。本人がどう自惚れようとも、大局的に見たならば、人聞は数のなかの一人であり、確率を考えたほうが間違いない。この前、二十一歳のあるから、相談を受けた。「奥さんと巧く行っていないんです。ひどい奥さんらしいんです」そのことばだけで、ぼくにはその男がどんな男か、見当がついた。若い女の子に対して衰の悪口を言う男は、ぜったいに信用ならない。愛情やユーモアをこめてぶつくさ言うのはよい。まじめに深刻ぶって批判するのはダメだ。底意が見え見えなのだ。「それで、近いうちに別れると言うんです。それで:::」「それで?」「あたし、その人を好きだし、かわいそうだし、求められているんです」つまり彼女は、男の要求を許すべきかどうかを相談に来たのである。「いいでしょう」あっさりとぼくは答えた。「許しなさい。あなたがその男をそんなに愛しているんなら、それでよい」しかしすぐそのあと、「ただし」とぼくはつけ加えた。「その男が現実に離婚してからにしなさい。口約束ではダメだ。小さな品物の売買でも、現金取引きがもっとも安全です。ましてや、あなたの人生でのもっともたいせつな取引きなんだ。空手形を信じるなど、危険きわまる」たいていの純情な女の子は、ぼくの忠告に反する。ところがなかには、「奥さんと別れなくてもいい。あたしは、立場としては第二の女でもいい。彼がほんとうに愛しているのがあたしであれば」そう考えている人がいる。ここで彼女は、その男と同居する権利、その男の配偶者として法律的に保護される権利、その男と同じ姓を名乗る権利、その男の遺産を相続する権利、その他棄ならば当然得られるべき権利を捨てる。それで以って幸福ならば、第三者がクチバシを入れることはない。人にはさまざまな生き方があるものだ。とはいえ、はたして相手のその男に、彼女がいろんなことを犠牲にしてくっついて行く価値があるか、それは冷静に考える必要がある。たいした男でない場合が多く、「何もこんな男にそうまでして尽さなくても、この子ならもっとりっぱな男をきちんとした夫に出来るはずなのに」と思わせられるのである。

はじめのころはそれでよくても、二年経ち三年経つうちに、多くの女は後悔するものなのだ。後悔しても、もうそのときは、いわゆる結婚適齢期を過ぎていて、遅い。人生は、同じ時点からのやり直しは利かないものである。_,p.,c,~ある男との恋愛で演をするのは女のほうである「自分は、結婚なんて考えない。ひとりで自由にだれにも縛られずに生きて行く。だから、恋愛相手に妻子がいても一向にかまわない」近ごろ、そう高言する女の子が増えてきた。生活力もある。これはひとつの生き方だから、とりたてての批判は控えようただ、これはもうあきらかに恋愛ではなくて遊びである。遊びだから、深刻なトラブルは生じない。そしてこのような女は、もしその女の言っている通りの丈夫な心を維持しつづけて行くことができるとすれば、ついに恋愛とは無縁であって、いささかあわれだと言うことが出来る。躍が損をするかの子が男に殺される場合がある。妻が女の子を殺す場合があり、その逆もある。心中もある。妻も巻添えにして三人で心中した事件もあった。言えない。妻も「恋人」も気の毒である。若い娘と妻子ある男とが交際を深めた結果、男がその女の子に殺される場合がある。女心中するとは、その男はどうやら悪党ではない。純情なようである。しかし、賢明とはただ、喪ある男と未婚の娘との関係は、男も女も純粋であればその悲劇にまで発展する要素を含んでいるものであって、そもそもの出発から無理があるものだ。「最初は、安易な気分からでした」悩める女の子が告白した。「スリルと悦楽を求めて、なったんです」よくあることだ。「でも、だんだんその人が忘れられなくなってしまい、その人が夜は奥さんのそばに帰って行くのもたまらなくなって」執着が増し、独占欲が生じた。遊びのつもりであったのに、遊びでなくなってしまった・のである。あげくの果てに、彼女は男の妻に会いに行った。「別れて欲しい。あなたの夫が愛しているのは、あなたではなくあたしなんだ」たいした自信であり度胸である。それというのも、つねに男の甘いことばをベッドで聞いていたからである。相手の褒は、背くなって震えているだけで何も言わなかった。気の強い彼女は、言いた”‘,zい放題のことを一方的にしゃべりまくって引揚げた。結果はどうであったか。「振られたのはあたしだったの。その日のうちに彼から電話がかかって来て、絶交を宣言されたわ。そして彼と奥さんは、奥さんが実家に帰ったりなんかしたのです。